終戦後、ヴィクターは新しいスタイルの市販用カメラの生産にだけ取り組んだ。
そして1948年10月6日、彼は世界初の市販用カメラ、ハッセルブラッド1600Fを発表した。

 



この型式はシングルレンズ、ミラー反射、交換可能なコダックレンズ付きの6x6カメラ、
巻きフィルムとビューファインダーが装備されており、ニューヨークでの発表会では絶賛された。
1600Fカメラはエンジニアリングの先駆けと呼ばれるほど絶賛された。



無論、完璧だったわけではない。
ハッセルブラッド初期型は技術的には斬新的で、スタイルも美しかったが、内部は非常に繊細だった。
全く新しい製品を作ることは容易ではなく、彼のカメラも例外ではなかった。
ビクターの工場の時計作り職人たちは精密部分を作ることに関してはプロだったが、
手持ちのカメラが耐えられる機械的な負担に耐えられる機械を作ることには慣れていなかった。
改良に改良を重ね、1600Fの設計要素も何度も改良された。 

ヴィ クターの努力にも関わらず、「不良品」のカメラの数台はコレクターや歴史学者たちの手により現存している。
これらの初期型1600Fはヴィクターが思い描いていた妥協のない基準には達していないが、もう50年以上も経っている。
デザインの改良によって新型カメラになり、それはヴィクター自身の自信作の 1000Fである。

 新型1000Fは向上した機能や新型レンズが装備されており、現在では6枚になっている。そして1952年に、カメ ラは独自の地位を確立した。アメリカの雑誌Modern Photography は新型1000Fを試し、素晴らしい結果を報告した。雑誌の試験者たちは1台のカメラで500本分のフィルムを使い、また落下試験も2回行った。



試験されたハッセルブラッドは壊れたり、故障したりしなかった。
耐久性の問題はクリアしたということは謙遜に過ぎない。ここから伝説が生まれた。