40年以上前に、まだ無名だったウォルター・シッラがヒューストンのカメラ店を訪れ、ハッセルブラッド500Cを購入した。
カメラは基本的な一般ユーザー向けのもので、装備はPlanar f/2.8と80mmレンズ装着のものだった。
彼はNASAの宇宙飛行士の卵で、スタッフにも恵まれていた。
新しく購入したカメラで宇宙の写真でも撮ろう と思っていた彼はハッセルブラッド本体のレザレットの部分を剥がし、
反射を抑えるために金属面を黒く塗った。
そして1962年にマーキュリーというロケッ トに乗り込んだ時に、そのハッセルブラッドのカメラも携行した。
宇宙に出てからは、周りの景色に圧倒された。そして持参したカメラで数枚写真を撮った。

こ こからハッセルブラッドと写真の歴史の1ページが始まり、
また、NASAとスウェーデンの小さなカメラ会社との業務提携が始まった。



興味深いことは、宇宙飛行士のウォルターがハッセルブラッドのカメラを初めて宇宙に持ち込んだ時、
そのカメラだけが宇宙飛行用にカスタムメイドされていな いものだった。
唯一の変更点はカメラの本体の一部が剥がされていたことだけだ。
持参したカメラは人間が今まで見たこともない物を標準レンズとフィルムを使って撮影された。
地球へ戻る際に、カメラの技術的性能は完璧であったことが分かった。
NASAは宇宙写真による記録の重要性に気づいてもいなく、また、 強調もしなかった。
ただ、ウォルターが持ち帰った写真を見て、改めてその重要性に気づかされた。


NASAの写真部門は急激に伸び、写真の技術者、ラボの技術者、
アメリカのトップ写真評論家たちを含む専門家集団の集まり場所となった。
また、宇宙からの 写真に興味を持つ幅広い機関との間の折衝も行われた。
ハッセルブラッドとの折衝も増えた。その代わり、ハッセルブラッドは宇宙での使用に適するよう、
異な る構造やレンズを使って、カメラを改良した。
長年、NASAは搭載物をなるべく軽くするよう努力をしてきた。

つまり、宇宙飛行用のカメラも当然これに当て はまり、なるべく軽量化でスリムな構造になっている。
それでもハッセルブラッドの質は失われていない。



宇宙飛行に適した 異なるモデルの数々が使用された。
箱型の黒いハッセルブラッドで撮影された写真は名作だ。
また、捉えられた瞬間は鮮烈だけではなく、歴史的な瞬間だ。
1965年のジェミニIVの任務では、初の歩行が行われた。
そしてカメラを手に持ったジェームス・Aマクダビットは同僚のエドワードH.ホワイトが歩いているところを撮影している。
これらの写真は世界中の主な雑誌に掲載された。
 
人々は鮮明な映像に驚いた。
一般の人々が映像の質に驚かされたが、その裏にある苦労は知らないだろう。
カメラは最も過酷な条件、太陽の下で120℃、日陰で-65℃の気温の中で正常に機能しなくては ならなかった。
それ以外にも無重力状態と計り知れない危険性の中で、カメラに故障や誤作動は許さなかった。
写真1枚1枚が歴史的瞬間で、2度と同じものは撮れないだろう。
でも、ハッセルブラッドはそれを見事に異なるカメラで果たした。


 

1966年、Zeiss Biogon 4.5/38 mm レンズの付いたハッセルブラッドSWCが初めてジェミニ9で使用された。
500ELは1969年6月1日に月の周りを10周したアポロ8号でデビューを飾った。

そして、アポロ11号が実際に月に着陸した時も、ハッセルブラッドで撮られた。
機種名はZeiss Biogon 5.6/60 mm レンズが埋め込まれたReseauplate付きの500EL だった。

月からの帰還には重量に関する特別な要求も強いられた。
任務を遂行し、合計13台のカメラが活躍し、月に置き去りにされた。そして、貴重な映像だ けを持ち帰った。
その任務からのスチルショットの方が映像よりも幅広く知られている。
確かに、これらの任務からの名作的な映像は無限に近く、暗闇の宇宙の 中で人間が飛び跳ねたり、
月から見た地球の浮上、また、月面に降り立った瞬間など。これらの映像は人類の歴史を捉えた貴重な瞬間である。

それらはキャプチャされた映像の力で、また、それらを捉えるハッセルブラッドの能力でもある。