ヨーロッパに戻ったヴィクターは、旅を続けた。
最初はオランダ、そしてフランスとモロッコに行き、珍しい鳥を追いかけカメラに収めた。
彼は1928年に ヨーテボリで大きな写真展に参加し、1934年に当時19歳だったエルナ・ナトルストと結婚した。
1935年に彼は‘Migratory Bird Passages’という本を出版し、内容は当時珍しかった飛んでいる鳥たちの写真を集めたものだった。



彼の家業への復帰はそれほどの成功ではなく、家族間の確執や父親との意見の相違に悩まされた。
それから間もなくして、彼は自分の会社を立ち上げた。
1937年に、彼は自分の写真店”Victor Foto”をヨーテボリの中心に開店した。
お店には写真用のラボもあり、家業から離れて初めて立ち上げた商売でもあった。
彼にはビジネスとマーケティング の才能があり、また店も繁盛した。
 

1939年には戦争が始まり、その後ドイツ軍がデンマークとノルウェーを侵攻した。
1940年代初 頭、ヨーロッパは第二次世界大戦にどっぷり浸かっていた。
ドイツ軍によるスカンジナビアの国々の侵攻が全く準備をしていなかったスウェーデンの軍隊の腰を上げさせた。
中立国は急いで戦争の準備をした。

その間、ドイツ軍はノルウェーとの国境にまで迫ってきていた。
ドイツ軍の偵察機もスウェーデ ンの飛行禁止区域を平気で侵し、何機かはスウェーデン国内に墜落した。
ほとんどの飛行機と機材は破壊された。
その内の一機が降伏し、荷物の中にまだ動くド イツ空軍監視カメラが含まれていた。
スウェーデン軍がそれをどこでどういう経緯で手に入れたかははっきりしないが、
ひとつだけ分かっていたことはスウェーデン軍がこれを使うことができるということだった。
ドイツ軍のカメラを押収することと、似たような製品を作ることは別問題だった。
それはスウェーデン政府もすぐに分かったことだった。

この時点では、ヴィクターは既に30代で、カメラの専門家としてかなりの評判を得ていた。
写真や技術的な問題に関する幾つかの記事を書き、
無論、彼の家名は国内で最も成功している写真サプライチェーン店だった。
スウェーデン政府が彼に助けを請うのは明らかだった。