1966年に、ヴィクター・ハッセルブラッドは配給会社と小売店のネットワークである
"Hasselblad Fotografiska AB"社をコダックに売却し、長期の業務提携を終わらせたが、友情は続いた。

1976年に、ヴィクターは会社の残りの資産であるVictor Hasselblad ABをスウェーデンの投資会社であるSäfveån AB社に売却した。



1978年、72歳のビクターは逝去した。資産のほとんどをエルナとヴィクター・ハッセルブラッド財団に遺した。
この財団の目的は自然科学と写真分野においての研究と学術的な教えを推進することだ。
毎年行われるHasselblad Foundation International Award in Photography 賞は世界で最も名誉のある賞で、これはヴィクターと写真の世界に対するメモリアルとして行われている。
 
1984 年にVHAB (Victor Hasselblad AB) 社はストックホルムの取引所にSäfveån 社が株の57.5%を所有した状態で上場した。
1985年にVHABはカメラ開発の最前線において、関連会社のHasselblad Electronic Imaging AB社をデジタルイメージングシステムと画像のデジタル送信システムの開発、生産およびマーケティングのために設立した。

この立ち上げは新しいデジタル写真市場に貢献した最初のアプローチのひとつでもあった。
同年、スウェーデンの会社Incentive AB社がVHAB株の58.1%を所有し、一番の株主になった。
1991年にIncentive社が残りの株を取得した。VHABは再度個人企業になっ た。
1996年にIncentiveは会社をUBS, CINVenとHasselblad Management社に売却した。

会社の社歴を通して、ハッセルブラッドはサプライヤーと提携先を慎重に選び、コダックやZeissなどの由緒ある企業との長期の業務提携を形成した。

1998年に、その種の提携の結果、ハッセルブラッドは富士フィルム社と一緒に新型ハッセルブラッドXPanカメラの導入によって再度カメラ業界に革命を 起こした。
XPanは中判パノラマ写真を作るために標準的な35mmフィルムを使い、あるいは同じ巻きフィルムに標準的な35mmショットを使う。
カメラはプロやアマチュアの写真家用に35mmフィルム、フィルムベースのデュアルフォーマットカメラの長年の研究と開発の結果である。
このカメ ラコンセプトによって、ハッセルブラッドは35mmフィルムの世界に新しい世界を開き、現存するハッセルブラッドカメラシステムに対する格好な場を作っ た。

2002年に、別の画期的なカメラシステムが発表された。
今回はオートフォーカスや非常に進化した電子チップ制御を含む最新の技術 的向上を組み込んだ6x4.5中判カメラだ。
設計にはデジタル技術を念頭に置いて行われ、ヒットとなった。
数ヵ月後、アジア太平洋地区のハッセルブラッド 代理店であるシュリロ・グループがVictor Hasselblad AB 社の大部分の株を取得した。
古い社屋からの負担を減らすために、生産用に新しい施設がヨーテボリに設立された。新しい施設と新たに技術的に進化したカメラ システムと一緒に、シュリロがデンマークのデジタルバックとスキャナーメーカーのImaconを買収した時にハッセルブラッドは更にもう一歩進んだ。
両者は合併し、プロの写真家からの増え続ける需要に対応するため、デジタル開発を主に手がけている。




そして物語は地球だけでなく、宇宙でもまだ続く。
我々の発展と進化は終わらない。常に前進し、ヴィクターの名前の刻まれたカメラを完璧なものにする。
そし て、彼の教え通り、現代技術を駆使し、それを伝統的な質や技術力と融合させ、
50年後でも安心して使える信頼性の高い製品を作ることである。



     (宇宙へ)