イギリスへのハネムーン中に、アービッド・ビクトルはコダックの創始者であるジョージ・イーストマンと出会う。
2人は握手だけで80年近く続いた業務提携 を結んだ。
1888年に、ハッセルブラッドはイーストマン精神をスウェーデンの総代理店として輸入を開始した。
写真の人気の上昇とその分野における技術的 向上が写真製品の需要を高め、ハッセルブラッド社はこれとなく喜んだ。
会社の写真部門は急成長を遂げ、1908年に事業の拡大により、別会社を立ち上げ た。
この会社、Hasselblad’s Fotografiska AB は現在のイーストマンコダック社の製品の総輸入代理店だった。



ラボの設立や全国ネットの小売店が確立された。信用と尊敬で築かれた2人の間での協力は大きな成功だった。

会社の創始者の孫のカール・エリック・ハッセルブラッドは一族が写真からどれだけ得したかに気づき、
それに感謝することを忘れなかった。
カールの息子ヴィクターは1906年に生まれ、ファミリービジネスの跡継ぎとして育てられた。
2人の姉妹と弟を持つシャイで繊細な子供だったヴィクターは田舎での散歩とバードウォッチングを趣味とした。
彼は祖父から受け継いだ写真に興味を持つ青年になり、現在の機材を向上させる強い思いを抱いていた。


彼は所見に事細かい記録を残し、また、当時のメモにはカメラの改良に対する提案が書かれていた。
不思議に思うのは、カールはヴィクターを18歳の時に学校を中退させ、
ドイツのドレスデンに行かせ、カメラ業界やレンズの製造について学ばせた。



これは多分若きヴィクターにとっては幸運な出来事だったのかもしれない。
彼は早起きし、登校前に田舎に行き、バードウォッチングをした。
また、朝早かった ため、授業中よく居眠りもしていた。
もしかしたら、学校での教育でなく社会勉強が彼にとって適していた教育方法だったのかもしれない。